最近はストレスチェック制度も取り入れられてきて、メンタルヘルスやうつ病に関する理解が少しずつ広まっているように思います。
が、それでも中には心の病気に理解を示すことなく、「死にたいは甘え」などと言う人もいるようです。
これは非常に危険な考えだとぼくは思います。
記事タイトルにもしているように「死にたいは甘え」という言葉は言った相手も言った本人も不幸にしてしまいます。
もしこれを読んでいるあなたが「死にたいは甘え」だと思っているなら考えを改めてください。
そもそも「死にたいは甘え」じゃない
「死にたいは甘え」と考える人の根底には「やればできる」「頑張ればなんとかなる」という根性論が根付いています。
しかしそれは嘘です。
例えばの話、普段運動していない中年のおじさんが100m走で陸上選手より速く走ることはできませんよね。
100回勝負したところで1回も勝てないのは目に見えています。
それはなぜか?
当然、筋肉や体力に差があるから。
これについては誰でも理解できる話です。
しかし心の問題についてはなぜか気合でなんとかなると考えている人が一定数存在します。
ぼくはこれがとても不思議です。
心や気持ち、やる気といったものは自分でコントロールできると考えているのでしょうが、それは幻想でしかありません。
脳内神経伝達物質であるセロトニンが不足すれば些細なことでもイライラしてしまうようになりますし、薬物でドーパミンが暴走したら自分の意志で止まることができなくなります。
死にたいという気持ちもこれと同じ。
いくら他人に励まされたところで「よし、頑張ってみるか」とは思えなくなります。
この気持ちをなんとかするには薬を処方してもらう、食べ物を変えるなど外からのアプローチが必須です。
「死にたいは甘え」が自分を苦しめる理由
厚生労働省のデータによると、一生のうちうつ病にかかるのは15人に1人。
いつ誰がうつ病になってもおかしくないのです。
「あんなに元気で活発な人だったのに、まさかうつ病になるなんて……」という話を聞いたことがありませんか?
自分は大丈夫と思っていても、何が起こるか分かりません。
いざ自分がうつ病になったとき、過去に自分の言った「死にたいは甘え」という言葉が自分を苦しめます。
うつによって「死にたい」と思ってしまう。
けれどそう思ってしまうのは自分が甘えているから。
自分はなんてダメなヤツなんだ……。
このようにさらにマイナス思考に巻き込まれていきます。
「死にたいは甘え」は害悪でしかない
「死にたいは甘え」だと主張することで、うつ病の人をさらに苦しめることになります。
それなりに影響力のある人の場合、もしかするとすでにその主張のせいで誰かを自殺に追い込んでしまっているかもしれません。
自分のためにも相手のためにも「死にたいは甘え」という言葉は使わないことをおすすめします。
実際うつになりましたが、医者の助けを借りて自分で再構築しました。
故にいいます。
死にたいと言いつつ他者を巻き込まずにこれを行えないなら、ただの甘えです。
生きていくなかで壊れたりすり減ったり疲労することは誰しもありますし、そのときの状況により対処が遅れたり儘ならなかったりはあり得ます。自分もそうでした。故に壊れました。
しかし自分自身が自分を見捨てなければどうにでもなります。
「せっかく壊れてくれたのだから、良い機会だ。地金から鍛え直して自分を作り直してやる。なんの事はない、一度できたことだ。ノウハウはある。素材もある。研究し、取捨選択し、打ち直せば良い」
自分が出した答えがこれです。
マイクラとかやると染々解りますよ。蓄積と応用。
私も毎日死にたいと思ってます。
仕事とか、人間関係とか色々辛いし、やりたい事も無いし。
でも、自分から死ぬ勇気は無いから毎日ぼんやり過ごしてます
私は「死にたいは甘え」と考えたことは一度もないですね。
「こんな世の中で生きていたら死にたくなるのは当たり前」とか、「死にたくない!生きたい!と言っている人は虚勢張ってるか、現実から目を背けているか、うっすい人生しか歩んでこなかったか、本物のバカ」くらいに思っています。
くっそネガティブですが、これまで本格的なうつにはなったことがないので、そのスタンスがいくらか効果を発揮してるのかなと思います。
「死にたいは甘え」は社会の洗脳です。どう感じようがそれは自然なことで個人の勝手。外野がとやかく言ってきても「うるせーバーカ」って一蹴しとけば良いと思います。